松山検番

芸者 松山検番

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芸者

芸者衆の紹介・・・



 現在松山検番には十二名の芸妓が所属しています。戦前からの伝統を今に限り継ぐ玉太郎姐さんをはじめ、舞の名手であり、現在松山検番の代表である豆千代姐さん、小唄の名手であり若い芸妓たちから寡われるとん子姐さん、将来はきっと多くの方から「名妓」としてその名が限り継がれるであろう方々がその芸を披露しています。この最近では平成十八年二月に「千代鷺・八千代鷺」が若手芸妓として登場。久しぶりに松山の町に、日本髪・裾引き」の伝統的な衣装でいろどりを添えています。

松山検番 芸者衆

玉太郎 豆千代 とん子 市葉
小花 あさ美 千代鷺 八千代鷺
貴美千代  

伝説の芸者・・・

 松山検番の発展に多大な功績を残された方の紹介です。

■お友姐さん(村上キワエ)

村上キワエ 芸者

 明治十三年(1880年)十二月二十五日、越智郡大山村泊の生まれ。広島、大阪で芸事全般の修行を積んだ後の昭和二十一年(1946年)五月、戦争によって解散状態にあった「松山検番」を復活させる。数人だった芸妓を六十人規模に発展させ、長唄・小唄・端唄・清元・日本舞踏を後進に指導、邦楽の水準を高めた。正調伊予節を守り、県外観光客に美しいのどを聞かせたとされる。政友会の政治家たちが利用した梅の家の座敷が戦前の活躍舞台。昭和四十八年(一九七三年)一月三十日、没。亡くなった時の肩書きは「松山検番顧問」。朝湯、朝酒を好み、ぬか袋で洗顔をし、明治の女らしさをいつも身辺に漂わせ、芸一筋に生きました。


■一平姐さん(山代屋トヨ子)

山代屋トヨ子 芸者

 明治四十二年(1909年)九月一日、山口県岩国市生まれ。八つの時に、父を亡くし、三人の子供を連れた母が松山へ来て再婚した。道後温泉街で見た芸者の艶やかな姿にあこがれて芸妓の道に入る。芸名は、当時人気のあった漫画家岡本一平にあやかった。
昭和二十一年には、お友姐さん、米千代姐さんらと共に戦後の松山検番の復活に貢献、伊予節の保存伝承につとめた。伊予節は、転勤節とも呼ばれ、節回しが難しく、覚えた頃には転勤するとされ、土地の人でも、正調伊予節を唄える人は少ない。伊予節を通じた郷土民謡の発展に尽くした功績が認められ、昭和五十五年十一月、松山市民表彰を受ける。同年、文化庁主催の芸術祭特別公演「日本民謡まつり」に出演、東京国立劇場にて正調伊予節を披露しました。

芸者募集中・・・


 このサイトをご覧になられて、もし「私も芸者になりたい」と思われたならば・・・。そもそも「芸者」とは一体どのような存在なのか。どのような仕事をし、「職業」として成立しているのかという事に疑問を感じられるかもしれません。「芸者」というのはあるいは「仕事」・「職業」というよりもむしろ、生き方そのものだと言う事が出来るでしょう。女性という存在に生まれて、そして女性であるが故の弱さからも強さからも遥かに超越した「芸」を通じて、時代を超え、地域を越え、一生を通じて生き続けることでひとりの「芸妓」としての完成を目指します。それはおそらく、人間としての完成を目指すことに通じるのかもしれません。以下に、松山検番での一般的なお稽古の内容を掲載しておきます。

お稽古内容・・・


日本舞踊  月 四・五回  (藤間藤美保先生)
小唄    月 四回    (田村志津咲先生)
長唄    月 四回    (今藤佐敏郎先生)
お座敷舞  月 二回    (ぼたん姐さん)

連絡先・・・


 自己を磨くためのお稽古代は基本的に自己負担となりますが、一人前になると、お座敷に上がり、その芸を披露する事が出来るようになり、収入を得る事が出来るようになります。お座敷に上がるまでの期間は、人によって違い、個人の努力次第ですが、松山検番は、貴女のそんな努力を出来る限り支えていきたいと考えています。貴女の第一歩を心よりお待ちしております。


 連絡先

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